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2013年8月20日 (火)

坂口安吾も訪れた高麗神社で、日本国の歴史を想う

こうも暑いと心身共にパワーダウンしてくる。

こんなときこそ神聖なパワーがみなぎる高麗神社へお参りすれば、きっといいことがあるに違いない。とはいえ、暑すぎてでていく気力もなく、ならばと記事の続きを書くことにした。

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何かおもしろいネタはないものかと、高麗神社のウエブサイトを探っていくと、高麗神社を訪れた著名人の中に、坂口安吾の名前を発見。へえ、意外な人物が訪れているものだと、さらに調べを進めていくと、安吾が書いた書物、『安吾の新日本地理 高麗神社の祭の笛 武蔵野の巻』に行き当たった。

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この短編がすこぶるおもしろい内容で、へえっと唸った後に、たちまち奈良時代の歴史にどっぷり浸りきることとなった。そして見えてきたのは、奈良時代の日本のありよう、しいて云えばニッポンは如何にして日本になり得たのか。それを、安吾の著作によって気づかされることになった。おそるべし、坂口安吾。

安吾は云う。

おそらく高麗王若王が高麗に入植する以前にも、かなりの数の渡来人が日本各地に漂着し、渡来人部落を形作り、あるいは支配者の元で政治体制に組み込まれていったのではないか。

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高麗神社の歴史をひもといていくと、「駿河、相模、甲斐、上総・下総、常陸、下野の七ヶ国のコマ人(高句麗人)一千七百九十九人を武蔵の国に移してコマ郡を置いた」とある。

これは、すでに各地に土着していたコマ人を一ヶ所にまとめたにすぎない。

おそらくそれ以前に日本各地に土着していたコマ人たちは、単に部落民として中央政府の支配下に合流し、自らをコマ人、クダラ人、シラギ人と名乗ることなく、新天地の統治者に服従して事もなく生活していたに相違ない。

これに反し、すでに日本の諸地に土着しつつも、あえてコマ人と称し、異を立てておった七ヶ国のコマ人一千七百九十九人の方が、珍しい存在というべきであろう。彼らが土地を移してまとめられたという意味は、そういうところにあるのかもしれない。

ちなみにこの移住は、高句麗が新羅に滅ぼされて50年後におこった。

この安吾の考察は、まさに目から鱗だった。

日本が形作られる過程で、大陸文化は人も含めて、その多くが日本に同化していった。その出自を地下に潜り込ませ、確実に日本化の道を選んだ。しかし、ここ高麗においては、あえて孤立化し、中央政権と距離をおいたことで、1300年という歴史を生き延びることができたのではないか。

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以下も、安吾の説く歴史観。

つまり、中央政権を争う人々は、日本を統一しての首長でなければならないから、コマやシラギやクダラの人ではなく、日本人になる必要があった。また、それぞれの首長に所属する臣下の人々も日本渡来前の国を失う必要があった。

ところが日本に渡来土着しながらもあえてコマ人を称しておった一千七百九十九名というものは、あえてコマ人を称する故に、至って誰よりも日本の政争から離れた存在であったとも考えうるが、そのへんはなんら所伝がなく系図も破られているから見当が付かないのである。

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そんな高麗神社には、皇室関係者も数多く訪れ、お手植えのスギなどが参道脇に高々と茂り、うっそうとした気配を湛えている。

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安吾がここ高麗神社を訪れたのは、くしくも例大祭が行われる前日。お囃子の練習などを作家の檀一雄と一緒に見学したり、若き神官から神社に伝わる系図などを見せてもらい、有意義なひとときを過ごし、翌日、あらためて弁当を携えて例大祭当日の高麗神社を訪れるのである。

安吾と壇一雄、文藝春秋の編集者の中野君が神社に到着したとき、獅子舞のお囃子は、ちょうど裏山の若光の墓所と伝えられる山上へと上っていくところだった。

この墓所のある裏山は、若王と思われる人の屍体を埋めたところで、昔は神殿が建っていたという。そこが古くから墓所とつたえられる所らしく、聖天院にある若光墓は、単に供養塔か別のコマ王の墓か、またはほかの何かだろうと安吾は推測する。

裏山の神社へは、本殿の左側の山裾にのびる細道をたどっていくと、行き着くらしい。私たちは、山の神社の存在に気づかずに帰ってきてしまった。

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つまり、高麗神社には再度行かなければならないということである。

高句麗から渡ってきた渡来人を始祖に持つ謎に満ちた高麗神社。その扁額には、後世、高句麗の文字が添えられた。これは、唐と新羅の連合軍に滅ぼされた高句麗の後に興った高麗(こうらい)と区別するためにあえて付けられた「句」の字。

これを見ても、寺および同胞たちが如何にその出自にこだわり、滅ぼされた民族の誇りにこだわってきたかが、よくわかる。

寺の系図は、全文の前文部分が安吾によれば、ちょん切られてなくなっているそうだ。とはいえ、若光から続く子孫は鎌倉時代頃まで同族婚を続け、血脈にこだわり、若光の末裔によって寺は1300年の歴史を保ってきた。

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高麗神社の宮司は、代々修験道に帰依し、半ば山伏のような隠棲暮らしの中で始祖を祀り、1300年という途方もない時間を、ひっそりとしかし野太く生き抜いてきた。

現在の宮司は60代目、高麗(こま)文康さん。

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本殿の前には平和を願って捧げられた数多くの千羽鶴が美しく飾られている。

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境内にはご神木の桜。その桜さえ1300年間のほんの数十年の歴史を見てきたに過ぎない。

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神社の背後の山は神社を護るご神体のような存在だ。

「この村の伝説によれば、コマ王若光は老齢に至って白髭がたれ、ために白髭さまと慕われたという。彼を祀ったコマ神社は白髭神社の宗家でもある」

味わい深い安吾の随筆、『高麗神社の祭の笛』。一読した後に訪れると、きっとその感慨を異にするはずだ。

神社に流れる冷涼な空気感。それはあえて孤高の道を選び、慎ましくも太く生きた、一族の潔さの表れなのかもしれないと、ふと思った。

2013年8月 9日 (金)

若光の菩提寺、聖天院へ

江戸時代まで武蔵国を代表する寺社だった高麗山聖天院。

寺が開かれたのは、高麗王若光が亡くなって後。若光に付き従って高句麗からやってきた僧侶、勝楽上人は、若光の遺徳を偲び、その菩提寺の造営にとりかかりました。

しかし、勝楽上人はその完成をまたずに死去。後を引き継いだのが、若光の三男で勝楽上人の弟子でもあった聖雲でした。

そして天平勝宝3年(751年)、ようやく開山にこぎつけたのが、高麗山聖天院勝楽寺です。

本来であれば、雷門と呼ばれる堂々たる山門がチャンスンの背後に見えるのですが、平成の大修理の真っ最中で、その姿を見られません。

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渡来人、若光の菩提寺なので、寺の前に天下大将軍(左)と地下女将軍(右)が並んで立ち、あらゆる災厄から寺を守っています。

天下大将軍は、地上のあらゆる災厄を、地下女将軍は地下世界からやって来るあらゆる災厄を守護するといわれています。

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「どんな邪悪な鬼も通しはしない」という意思の表れなのでしょうか、非常に恐ろしい顔をしています。

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そんな守護神の前を静かに通り抜けていくと、山門脇に見事な庭園が現われました。

かつて背後の築山が若王の墓ではないかと推測する人もいたそうですが、この築山は若王の墓ではないそうです。

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若王の墓といわれている王廟は、池の隣にひっそりとありました。

屋根の下に石積みのくずれかけた塔があるのですが、これが墓だといわれているものだそうです。

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ちなみに若王さんとはどんなお人だったのか、今から1300年も前のことなので、写真も肖像画も残されてはいないのですが、石像が刻まれています。

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王廟から階段を上って中門のところで、入場料300円を払って境内へと入ります。

そして目の前に現われるのが、この庭園です。

本来ならば境内の正面に本堂がたっているはずですが、現在の本堂は庭園の上にみえる山頂へと移動しました。

というのも、現在の庭となっている場所にあった堂宇は、寛永年間に火災で焼失。その後、再建されたのですが、余りに痛みがひどくなったため、裏山を切り崩し、ここに7年の歳月をかけて新しい本堂が建てられることになったのです。

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境内の一隅には阿弥陀堂も移築されました。

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阿弥陀堂の中には黄金の釈迦三尊像が安置されています。

そして、境内から再び長い階段を上って新しくできた境内へと上ります。

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日高の町を見下ろすように建てられた新本殿は、総檜造り。扁額には聖天院の文字が刻まれています。

若光の守護仏である聖天歓喜仏を本尊として祀っていることから、聖天院と呼ばれるようになったのですが、ご本尊である聖天歓喜仏は、今は秘仏となっているそうです。

果たしてどんな仏様なのか、気になるところです。

開基から600年間は法相宗のお寺でしたが、貞和年間(1345年)に秀海上人によって真言宗のお寺に改宗され、現在は真言宗智山派のお寺です。

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本殿の正面には寺院を一望する展望台がありました。下に見える建物は、聖天院の庫裡と書院、受付のある中門です。こんもりと茂る森の間をぬって高麗川が流れています。

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1300年の時を経て、発展した現在の日高の町を、若光さんはどんな想いをもって見つめておられるのでしょうね。

考えてみると、奈良時代の日本は今よりもずっと進歩的だったのかもしれません。

国を追われた高句麗の王族に官位を与え、武蔵国の開拓を任せたのですから。

2013年8月 8日 (木)

ふたたびの高麗 パワースポットを巡る旅

8月4日の日曜日sun、再び高麗へ行ってきました。happy01

今回の散歩は、ちょっと長め。ただ、暑くなってきた埼玉地方ですので、このルートを歩く場合、午前中早めの散歩がおすすめです。

ルートは、西武池袋高麗駅を出発 shoe

shoe 35分→ 聖天院 shoe 5分→ 高麗神社 shoe 40分 → 高麗本郷 shoe 1分 → 阿里山カフェ cake

およそ半日の旅

西武池袋線高麗駅から聖天院までは徒歩35分、そこから徒歩5分ほどで高麗神社に到着します。

聖天院は、本堂が山の上にあるため、階段を何度も上る必要があり、歩きなれていない人には少々つらいスポットかもしれません。

足に自信のない人は、高麗神社だけをゆっくり訪れてはいかがでしょう。

車がなくても、八高線高麗川駅から高麗神社までは徒歩20分ほどなので、八高線を利用すれば、歩けない距離ではありません。神社内は、ほとんど起伏もなく楽に歩けますので、シニア世代にもおすすめ。

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では、西武池袋線高麗駅からのルートをご紹介しましょう。

高麗駅の高架下をくぐり、国道299号線の信号を渡ったら、住宅街の道に入ります。

住宅街を抜け、少し大きな道を渡って高麗豆腐の暖簾がかかった店の脇の小径を入ります。写真の道標が目印です。

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気持ちのよい里山道を歩いて県道15号線にでたら右折。高麗川にかかる赤い欄干の鹿台橋の上から、川の中をのぞき込むと、ワンちゃんが水浴びをしていました。

気持ちよさそう。

巾着田といえば、澄んだ水の高麗川が大きく蛇行して流れ、まるで巾着のような地形をつくりだしていることから呼ばれるようになった人気スポットです。秋には一面の曼珠沙華でおおわれ、それはそれはきれいな花園となります。

巾着田の周りを流れるこの高麗川、夏になると、河原でバーベキュー delicious を楽しむキャンパーで大賑わいです。

ちなみにこの橋のすぐたもとには、オーガニックカフェ「阿里山カフェ」もあり、おいしいランチが食べられます。 cake

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納屋のような阿里山カフェを通り過ぎ、高麗本郷の交差点を左折。

山の方に向かって一本道をずんずん歩いて行きます。途中、日和田山へ向かう登山道の入口などもありますが、ずんずん歩いて行きます。

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35分も歩くと、聖天院に到着です。

ここは、高麗王若光(こまのこしきじゃっこう)の遺徳を偲び造営された若光の菩提寺。ここに、若光の墓といわれている王廟があります。

王廟は山門(現在修理中)を入ってすぐの池の隣にありますので、本堂へ上る階段がきついなあと感じた人は、王廟だけでもご参拝してはいかがでしょうか?

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王廟の隣には、見事な庭園があります。

668年、唐と新羅によって滅ぼされた朝鮮半島の大国、高句麗。

奈良時代、日本に多くの高句麗人が難を逃れて渡ってきましたが、その渡来人たちを束ね、今在る高麗の礎を築いた王(こしき)が、若光だったのです。

実は、高麗王若光がどのように日本に渡り、この地で生きたのかという正確な史実は残されていません。

しかし、日本書紀には、天智天皇称制5年(666年)10月に高句麗から派遣された使節団の中に、「若光」の名が刻まれており、その後に書かれた「続日本紀」には、「従五位下高麗若光に王の姓を賜う」とあり、高句麗の滅亡が668年ということを考え合わせると、666年に来日した若光と、「王」の姓を賜った「高麗王」は同一人物だろうと推測されます。

高麗神社のご祭霊である若光は、

日本の朝廷から「王」の姓を賜り、当時未開の地だった高麗を開拓し、王国滅亡後に日本に渡ってきた1799人の高句麗人たちと手を携え、この高麗に安住の地を築いたのです。

若光の守護仏聖天尊を本尊とすることから、聖天院と名付けられました。

立派な山門の雷門は、現在、大修理の真っ最中です。山門の前には、朝鮮半島ゆかりの寺らしく、将軍標(しょうぐんひょう チャンスン)が立っていました。

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風格漂う庭を眺め、長い階段を上ると、平成12年に7年の歳月をかけて建造された本堂が建っていました。本堂正面のテラスは展望台になっており、はるか日高の町並みが遠望できます。

写真の若光の像は、本堂脇の小高い山の上に町を見下ろすようにたたずんでいました。

この聖天院から歩いて5分ほどのところに、出世神社として名高い高麗のパワースポット、高麗神社があります。

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高麗神社としたためられた門柱の脇にあるのは、一の鳥居です。

鳥居にかかる扁額には、「大宮大明神」と書かれていますが、「大宮」とは地域で重要な神社が名乗ることを許された称号。高麗神社は、江戸時代まで高麗郡の「大宮」として、「高麗大宮大明神」とも呼ばれていました。

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駐車場の奥には、韓国から送られたチョンスンが建っています。

チョンスンは、村や町の守り神です。それにしてもユニークなお顔!!! coldsweats01

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うっそうとした木々におおわれた参道を抜けると、居丈高に鎮座する狛犬のその奥に、神秘性を湛えた御神門が現われます。

その門に掲げられた扁額には、「高句麗神社」と書かれています。あれっsign02

「高麗」という文字の間に小さく「句」の字が書かれているのです。

これは、この神社の御祭神である「高麗王若光」の出身地である高句麗と、その後に起こった高麗を区別するために、明治33年にこの神社を訪れた朝鮮王族の貴族、趙重応がしたためたものだそうです。

ちょっとおもしろい扁額なので、必見sign03

でも、創建から1300年たつ今日まで、高句麗神社と呼ばれたことはないそうですよ。

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門をくぐると、勇壮な本殿が姿を現します。

昭和9年、東京帝国大学教授、伊東忠太によって設計された名建築。厳かな気配が漂います。

正面にある扉が開かれるのは、年に一度、10月19日の例大祭当日だけだそうです。

そうそう、なぜこの神社がパワースポットかといえば、この神社を参詣した昭和の国会議員たち、浜口雄幸、若槻禮次郎、斉藤実、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)、鳩山一郎の各氏が、この神社を訪れた後、立て続けに内閣総理大臣になりました。

以来、「出世神社」と呼ばれるようになったのです。

有名な神社って、どこもパワースポットになっていると思うのですが、高麗神社にも澄み切ったパワーが充満していると感じました。

とっても気持ちいい空気感、神聖な気配が感じられたからです。きっと、大きなパワーが渦巻いているのでしょうね。

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高麗神社ですっかりパワーチャージした私たちは、そのままもと来た道を戻り、高麗本郷へと無事に帰ってきました。

いっぱい歩いてお腹がすいたので、阿里山カフェでオーガニックランチをいただくことに。

45分も歩いてくると、さすがに暑くて、今回はテラス席じゃなくて冷房が効いた室内でランチをいただくことにしました。この日も家族連れでいっぱいだった店内。

そのランチ、お世辞抜きで絶品でした。

皆さんも、ぜひ一度、お試しあれ。

2013年8月 1日 (木)

メダカを飼う

ご近所さんから、メダカ fish をいただいた。

ご近所さん家のメダカ fish は、どうやら今年もたくさんの子供たちが生まれ、恵みの年を迎えている模様。

その幸せを分けていただいたことに、まず感謝申し上げます。wink

ありがとうございます、ご近所さん happy01

我が家でメダカを飼うのは、子供の頃以来のこと。まあ、初チャレンジのようなものだ。

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とりあえず、手のひらサイズのガラスの鉢に移し、表のテーブルの上で育てることにした。

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よーくみると、少し赤みがかった親メダカにまじって、生まれてまもない子メダカたちが、元気に泳ぎまわっている。

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外はちょっと蒸して暑いけど、このテーブルの上は涼しげな気配。

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金魚を飼ったり、メダカを育てたり、日本人はこうやって暑い夏を涼しく過ごす工夫をしてきたんだなあ、と思う。

我が家にやってきたメダカくん。

涼しげな風情を奏でておくれ。

私はこの後、物置をゴソゴソあさり、大昔我が家で使っていたと思われる火鉢を見つけました。

陶器でできた火鉢ですが、この火鉢に水をはってメダカくんたちを育ててみようと思っています。

さあて、次はくみ置きの水を用意しておかなくっちゃ。

2013年7月31日 (水)

狭山公園からの帰路は、野菜で重いぜ

ブログの更新も久しぶり。

うっとうしい日々が続き、暑さと寒さのダブルパンチで少々こたえていた昨今。

今朝はちょっといいことがあったので、また書くことにした。

とはいえ、こんなに暑いとつい出不精になり、話題も地味に。

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いつも歩いている多摩湖下貯水池は、相変わらず水を満々と湛え、かの水不足が嘘のよう。

この水の水源は、元をたどれば多摩川の羽村取水堰からとられている。導水管で多摩湖へと送られてくるわけだが、夏場は少々生臭い匂いがするときもある。

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それでも水辺を渡ってくる風は心地よく、水際をみると、水鳥が羽を休めていたり、木々のリフレクションが美しかったり、散歩のロケーションとしては申し分ない。

この日も、竹林の緑が映り込んで美しい風景を奏でていた。

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私はというと、園内の山道をたどり、緑のシャワーを全身に浴びてリフレッシュに余念がない。

やっぱり外を歩くのは気持ちがいい。

森の中にいるとシンと静まった気分を取り戻せる。外の空気を取り込んで、俗世を忘れれば、何かこう、新しい気分が盛り上がってくる。

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最近の楽しみは、散歩の帰りに立ち寄るこのスタンド。

何週間か前の土曜日のこと。

多摩湖近くにある狭山神社裏手のこの直売所に、立ち寄った。

この日は、スタンドのオーナーも居合わせたので、立ち話をする。

この野菜を育てている畑は、このスタンドのすぐ後ろにあるのだけど、近くにもっと広い畑があって、そこでたくさんの野菜を育てているのだとか。

実はこの直売所、近所でも人気のスタンドなのだ。

この日も子供二人がお母さんの言いつけで、野菜を買いに来ていた。

オクラがほしかったみたいなのだけど、この日はオクラの収穫がなく、別の野菜を買っていった。

私はこの日、シシトウを購入。

このシシトウ、絶品でした。

フライパンで軽く炒めて、お醤油を少々まわし掛ければ、冷や奴の付け合わせができあがり。ほんのりピリッとして、すっきりと辛い夏の一皿。

天ぷらにしたらかなりおいしかったとは思うが、炒めてすぐに食べきってしまった。

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ナスだって、人参だって、トマトだって、みーんな百円。

絶品の野菜スタンドです。

また行かなくっちゃ。

2013年7月12日 (金)

多摩湖と狭山公園で涼を感じるこの頃

暑いですね、毎日。

いつも歩いている狭山公園の上に広がる、東京都の水瓶、多摩湖。

その水辺にサギがたたずんでいました。

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ここだけ見ると、どこの高原の湖かしらと思うのですが、多摩湖貯水池の水辺です。

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突堤へと歩を進めると、ふたつの貯水塔が見渡せるこんな風景が広がります。

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この日は6月の最終土曜日でしたが、水鳥が湖面をすいすいと泳ぎ、その向こうに西武ドームの屋根が見える、いつもながらの平和な風景が広がっていました。

暑いけど、平和で美しい狭山丘陵。

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日本一美しいといわれる取水塔を柵の下からパチリ。今朝もこの堤防を歩いてきましたが、この日と同様、貯水池の水は満々と湛えられていました。

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土曜日だったこの日は、親子連れが大勢ピクニックに来ていました。

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最近は自転車愛好家たちにも大人気のスポットになっていて、ビシッと決めたライダーたちが、軽やかに堤防を走り抜けていきました。

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堤防を端まで歩くと、柵の上に野草が咲いています。この日は、この風景に惹かれたのでした。

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すぐそばの木の下には、季節はずれのハルジヨンが咲いていました。

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いつものように狭山公園へと下りる階段をたったったっと早足で駆け下り、森の道を歩きたかった私は、青年の森へと上っていきました。

狭山公園は手入れの行き届いた公園ですが、森もしっかり残されており、森散歩も楽しめるのです。

雨上がりのこの日は、シダがみずみずしく葉を広げていました。

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森の道は爽快です。

晴れて暑い日もここに入るとひんやりと心地いい風が吹いています。木も大きく育っていて、早朝など、森のこずえをふるわせて野鳥が美しい声を響かせています。

山間を感じる一瞬です。

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この道の上にもう一本尾根道もあるのですが、私のお気に入りは、自転車道と平行して走るこの山道。たった300~400メートルの森の道ですが、リフレッシュするのに十分の距離です。

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小径の脇には、オカトラノオが咲いています。楚々とした風情がいいですね。

気持ちいい道を気分よく歩き、帰りは、公園のすぐ近くにあるお豆腐屋さんに立ち寄り。

この榎本豆腐店で、絹ごしやガンモを買って、お昼に食べるのが何よりの楽しみなのでした。

こんなちょっとしたお散歩に、幸せを感じる私。

生きてます。

2013年7月 3日 (水)

本格ロースターがオープンした蔵カフェ、カフェソルテ

日高市高麗の阿里山カフェから、国道15号線を高麗川駅方面に歩くこと8分。

その国道沿いにお蔵は建っていました。

外壁ははげ落ち、いかにも古そうな外観なのですが、カフェのオーナー、近藤佐代子さんとその仲間たちによって、お蔵の中は見事に蘇っていました。

蔵なので入口で「あれ、これってどうやって開けるのかなあ…」なんて、戸惑うこともあるんですが、そんなことも楽しい高麗でのカフェめぐり。

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火気厳禁って書いてあるこのタンクって、おそらくオブジェなんでしょうね。

お蔵の古さとマッチして、いい景色になってます。

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入口だってこんな風にデコレーションしちゃって、近藤さんってアートのセンスも抜群。

カフェを語らせたら右に出るものはいないカフェマニア、川口葉子さんの著作、「コーヒーピープル」にも登場する近藤さんは、サンフランシスコに始まり、カナダのバンクーバーやスコーミッシュ、ハワイなど、数々の場所でコーヒー修行を重ねてきた本格派バリスタにしてロースター(焙煎人)なんです。その行動力、夢を現実に持っていくバイタリティは、並外れています。

彼女のウエブサイトをのぞくと、カフェをオープンするまでの人生行路が、くわしく書かれていて、本当に彼女の人生はドラマチックだなあって思います。

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かなり古いお蔵だったようですが、バイタリティにあふれる近藤さんは、造園デザイナーのパートナーと一緒に、土壁を自らこね、しっくいを塗り、柱を立て直し、カウンターをつくり、自分たちで内装のほとんどを成し終えました。お見事!!!

店内にいるときは暗くてよくわからなかったけど、カウンターの下の壁にはいろいろなものがコラージュみたいに、はり付けてあったんですねえ。

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この日は、近藤さんが選んだ生豆を店内の焙煎器で焙煎したアメリカーナを注文。

「シングルですか、ダブルですか?」って聞かれて、最初どういう意味だろうって、よくわからなかったんだけど、お湯が運ばれてきて、合点がいきました。

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シングルのアメリカーナにお湯を注ぎ、カフェソルテのアメリカンコーヒーのできあがりです。

おいしいです、かなり。

私はコーヒーの後味に残る酸味系が苦手で、だからコーヒーはいつも深入りの豆を買ってきて、やや薄めに入れて飲んでいます。ここのコーヒーは、後味に爽やかな苦みが広がり、後味すっきり。私好みのコーヒーでした。

香りと苦みのバランスが絶妙。清々しい苦みが後を引きます。

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店内は居心地のよい狭さで、オーナーとのおしゃべりもほどよくできます。

店の奥には、実家から運ばれてきたピアノも置いてあって、いつかここでジャズの演奏会でもできそうな雰囲気。

お蔵のカフェで楽しむジャズナイト。想像しただけで、ステキなひとときが過ごせそうですね。

●カフェソルテ cafe sorte

【住】日高市梅原64-8

【tel】042-978-7180

【営】平日11:30~19:00、土日7:30~11:00、14:00~19:00

【休】火・水

2013年7月 1日 (月)

高麗に行ったら、阿里山カフェでランチを楽しもう

高麗に行って、カフェめぐりを楽しんだことは、前回ご紹介した通りなのですが、カフェを訪ね、高麗で里山歩きを楽しんだことで、この町の魅力にすっかりやられちゃいました。coldsweats01

もちろん、巾着田に曼珠沙華が咲き誇る秋は、里山散歩に最適な季節ですが、人であふれかえる秋は、里山歩きをゆっくりと楽しめません。歩くなら、やはり春から初夏、初冬の静かな季節がおすすめです。

山々の緑を感じながら、素朴な田んぼ道を歩いていると、「あれ、私はどこに来ちゃったのだろうwobbly」と、不思議な感覚に襲われます。距離にすれば飯能からたった二駅しか離れていないのに、その二駅が文化的地理的結界を生むのでしょうか。高麗は紛れもなく秩父文化圏です。

ぶらぶら歩きを始める前に、阿里山カフェでランチとしましょうか。

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高麗川沿いにあるこのカフェの外観が一風変わっています。アメリカ東部でよく見かけるバーン(納屋)の形なんです。

それもそのはず、オーナーは、アメリカ人のジャックさんと台湾出身のフェイさんご夫妻。元々ベジタリアンだった二人が、オーガニック・ベジタリアン・ライフをもっと気軽に楽しんでもらおうと、阿里山オーガニックセンターをオープンして、食品の販売を始めたのが、今から25年前のこと。
月日は流れ、二人の夢は「カフェを開く」ことへと、広がっていきました。

気の合う仲間とおしゃべりしながら、おいしいオーガニックフードを味わえる場所をつくろうと、2001年夏、阿里山カフェはオープンしました。

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阿里山カフェの魅力は、なんといっても高麗川沿いに面したこのオープンデッキです。

カフェは大通りに面しているのですが、デッキの周りを大きな木々で囲まれているせいか、車の騒音が気になりません。なんてったって、この空間が気持ちいいのです。

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この日は社員研修のため、特別メニューの野菜スパゲッティしかありませんでしたが、普段なら、味噌風味の豆ミートと長ひじき、野菜のナムルなどが盛りつけられた「阿里山ミックスベジタブル丼」や「ベジバーガー」などが食べられます。

いずれも地元産の有機野菜を使ったオーガニック料理。

オーガニックの素材は、なんでこうもおいしいのでしょう。

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カウンターには、いかにもアメリカっぽいこんなクッキーも売られています。

お店の人の接客もとても丁寧で、心からリラックスできます。

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デッキからちょっとのぞきこめば、すぐ真下には高麗川の流れ。

秋には大混雑する人気カフェも、今は比較的すいているので、ゆっくりとランチが楽しめます。高麗でステキな里山ライフを満喫してはいかがですか。

●阿里山カフェ

【住】埼玉県日高市高麗本郷185-2

【tel】0429-82-4823

【営】木曜~月曜11:30~18:00、土曜のみ21:00まで

全席禁煙、土日祝の予約は不可

【休】火曜・水曜

【行き方】西武秩父線・高麗駅下車、徒歩8分

2013年6月26日 (水)

日高市高麗で里山歩きとカフェめぐりを楽しもう

先週、梅雨の晴れ間sunをぬって、日高市高麗でカフェめぐりをしてきました。

高麗といえば、曼珠沙華が咲き誇る「巾着田」が有名ですが、秋だけでなく初夏も、里山歩きが楽しめる最適なお散歩スポットなんです。

なぜって、今話題の人気カフェが3軒もあるんですから。lovely

西武池袋線・飯能駅で秩父線に乗り換え、東飯能を過ぎると車窓風景が一変します。

窓の外は山また山の連なり。えっ、ここはどこだっけ???という秩父らしい風景が展開します。

そして、高麗駅を降りると、赤い柱が2本立っているじゃありませんか。

これは、奈良時代、朝鮮半島から高麗に移住した高句麗の王族、高麗若光の菩提寺を守る将軍標(チャングンビョ)です。

高麗は、渡来人の里として有名なんですね。なんだか遠くまできちゃった感じです。

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駅の近くには、高句麗からの渡来人、高麗若光(こまじゃっこう)の御霊を守る菩提寺、高麗山聖天院もあります。

でも今日はカフェめぐりが目的なので、まずはランチ。高麗で有名な「阿里山カフェ」を目指します。

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駅を出て高架をくぐり、巾着田の看板を目印に住宅街を抜けると、美しい里山の風景が広がっていました。

曼珠沙華を見に来たときも思ったけど、何度見ても、この里山の風景に癒やされます。道のあちこちに、朝採り野菜のスタンドや手作り湯葉の店などもあって、買い物も楽しめる散歩道。

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阿里山カフェに着いたけど、準備中みたいだったので、巾着田を散歩することに。

「巾着田」なんて不思議な名前だけど、高麗川が大きく蛇行してできた地形が、巾着のようだったことから名付けられた地名なのだとか。

澄んだ川のほとりは、人気のバーベキュースポットになってます。

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水も澄んで、高麗川ってきれいだなあ。小さい頃は、家族でよくこの川に泳ぎに来ました。

あの頃は気づかなかったけど、今とは比べようもなくきれいでした。

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土手にあがって巾着田を遠望すると、のどかな里山の風景が広がっていました。

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阿里山カフェに戻ったら、特別臨時営業で、お店がオープンしていました。

ラッキー!!! さっそくテラス席へ。

板張りのテラスは、大きな木々が周りを取り囲み、高麗川沿いに張り出すようにつくられています。川風が吹き抜けて、気持ちいい。

今日は、夏野菜のスパゲッティしかないみたいだけど、このカフェの売りは、ローカル野菜などを使ったオーガニックフードが自慢。だからとってもおいしいんです。

ゆったりとランチを堪能し、お茶はすぐ近くにできたばかりのコーヒーロースター、「カフェソルテCafe Sorte」 でいただくことに…。

阿里山カフェから歩いて7~8分。右手に巾着田、左手に日和田山を望みながら、車通りの多い道を歩きます。車道歩きは好きじゃないけど、あたりの風景は狭山丘陵とは全く違う、秩父らしさにあふれています。その土地特有の風情って、やっぱりあるものですね。

そんなことを考えていたら、カフェソルテに到着。

ここは豆の輸入から焙煎まで、たったひとりでこなす近藤佐代子さんが始めた、こだわりのロースターです。

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古い蔵を改装した渋いカフェ。

そこここに置かれたアンティークが、シックな味わいを醸し出しています。オシャレなんだけど、温もりが感じられて、とても居心地がいいの。連れは、「なんだか眠くなっちゃった…」なんて言ってました。

紆余曲折あった店主の、サンフランシスコ時代やバンクーバーでのカフェ修行時代のお話を伺いながら、とびきりおいしいコーヒーをいただきました。

お話もおもしろかった~。

そして私たちは、「カフェ日月堂」へも行ったのです。

半日で3軒ものカフェを歩いた、高麗でのカフェめぐり。思い立って、何気なく歩いた高麗散歩でしたが、充足感で満たされた一日。

カフェって、おいしいものを食べたり、おいしいコーヒーをのんだり、それももちろん楽しいんだけど、知らない人の人生を知る、貴重な場所でもあるんだなあ…、なんて思いました。

皆さんもどうですか、高麗でのカフェ巡り。いい人に巡り会えるかもしれませんよ。

2013年6月21日 (金)

「神楽坂暮らす。」の器と雑貨が気になるこの頃

神楽坂でずっと気になっていた器と雑貨の店、「神楽坂 暮らす。」。

店主がブログで紹介する器たちが本当に美しくて、近くに行ったらぜひ立ち寄らねばと思っていました。

念願かない、うきうきしながら店内へ。

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マンションの中の店舗なのに、古民家のような懐かしさが漂い、 センスのよさを感じさせます。

この日はちょうどビアマグ展を開催中で、個性的なマグたちが中央のテーブルにズラリと並んでいました。

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なかでも気になったのが、新潟出身の陶芸家・諏佐知子(すさともこ)さんがつくったこちらのマグたち。切り絵をベースに型紙をおこし、呉須などで色づけをして部分部分書き落として、変化をつけた絵付け。懐かしく不思議な造形に惹き付けられました。

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窓辺には、これも店主のブログですでに紹介済みのガラス作家・永井煌晟(ながいこうせい)さんのヴェネツィア由来のレースガラスの器が…。ケーンという棒ガラスをくねくねとスイッチバックに巻き付けたもので、色合い、造形ともピカイチの逸品でした。

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店主さんは、独立前は恵比寿三越の和食器バイヤーとして活躍しておられた方。いわばその道のプロがオーブンさせた店だけあって、買い付けも商品の品揃えもすべて店主の目に叶った品々で取り揃えられています。

陶芸家にこんな器をつくってほしいという提案をしたり、窯元と共同でオリジナル食器をつくることも始められたそうです。

そうして並んだ器たち。

それらに共通するのは、日本の工芸品ならではの手仕事の美しさです。民芸を感じさせる陶器やガラス器は、どれも丁寧な手仕事で貫かれています。

上の写真の器は、店主自ら足を運び買い付けた、九州・小石原の器たち。鬼丸豊喜窯の器だそうです。

小石原といえば、飛びかんなと刷毛目が特徴的な民窯ですが、鬼丸豊喜窯の技法の美しさに魅せられたそうです。

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白化粧を掛け、ろくろを回しながらかんなでコンコンとリズミカルに化粧土を削っていくのが、飛びかんなです。やってみると、これが実に難しい。

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こちらは、刷毛目。白化粧を刷毛にとり、ろくろを使ってリズミカルに刷毛目模様を刻んでいきます。

どちらも職人技が活かされた健全な民芸の器です。

気負わずてらわず、黙々と日々の暮らしを紡ぎながら生まれる手仕事の慎ましさ。こういう器を見ると、心底ほっとします。

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あまりにも居心地のいい店内で、ふと視線を感じ、棚の上をみると、この器たちが私を見つめていました。

笠間の鴨工房、鴨暁子さんの白い器です。

京都出身だそうですが、繊細な手仕事に魅了されました。

「神楽坂 暮らす。」は、新潮社を目指し、神楽坂大通りをてくてくと上っていき、新潮社へ向かう信号を左折、新潮社手前にある小路をひょいと左に曲がると現われるマンションの一階にあります。

なお店内の写真は、店主の許可を得て撮ったものです。写真を撮る場合は、必ず店主の許可をとってくださいね。

●神楽坂 暮らす。

【住】新宿区矢来町68 アーバンステージ矢来101

【tel】03-3235-7758

【営】12:00~19:00

【休】火曜

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