無料ブログはココログ

« 多摩湖から狭山公園へ朝散歩 | トップページ | 荒幡富士で、地域史に目覚めました。 »

2012年7月31日 (火)

荒幡富士は、こうして築かれた

Arahatafuji10_convert_2012072311393

西武池袋線下山口駅から徒歩12分。狭山丘陵のシンボルともいえる荒幡富士の歴史をひもといてみました。調べていくと、神仏習合という日本人の宗教観を一新した、明治という時代が、荒幡富士を大きな富士塚へと変貌させた、その歴史が見えてきました。

所沢の旧荒幡村には、明治に入るまで浅間神社のほかに、三島、氷川、神明、松尾の5つの神社がありました。ところが、明治4年(1871年)、太政官布告によって、神官の世襲制が廃止されたり、神社を等級化すべくつくられた社格制度によって、ひとつの村にはひとつの社しかおいてはいけないという取り決めがなされたのです。

こうしたお上からの動きを受けて全国各地の神社は、変革を求められました。旧荒幡村も例外ではありませんでした。

048_convert_20120723170423

村が出した結論は、浅間神社を村社として残し、三島以下ほかの神社を、浅間神社に合祀しようというものでした。合祀とは、一緒にお祀りしようということです。こうして、浅間神社にほかの4つの神社が共にまつられることになったのです。というのも、村にひとつ残された神社は、「村社」として認められましたが、ほかの神社は「無格社」という一番格の低い神社に列せられたため、このままでは神社存亡の危機にあったのです。

全国津々浦々で明治期、無格社となり、廃されてしまった神社が数多くあったといいます。

幸いにも旧荒幡村では、合祀という方法でそれを逃れ、村民の統一と民心の安定を図るべく、明治14年(1881年)9月に、浅間久保(せんげんくぼ)にあった浅間神社を西ヶ谷松尾神社の地に移し、浅間久保にあった富士塚も一緒に移転することが決まったのです。そして、以前より大きな富士塚を築くことも決められました。

こうして、明治17年(1884年)、工事が始まり、村人は言うに及ばず、近隣の有志たちの力添えもあり、約15年の歳月のかけ、高さ10メートルの荒幡富士が完成したのです。
途中、明治27年(1894年)には、日清戦争なども起こりましたが、富士塚造営は粛々と続けられました。

そして明治32年(1899年)、ついに荒幡富士は完成しました。

霊峰富士をご神体と崇め、その身代わりとして築かれた富士塚でしたが、信仰とはかけ離れた存在になった今も、地域の人々の暮らしを見守り続けています。

« 多摩湖から狭山公園へ朝散歩 | トップページ | 荒幡富士で、地域史に目覚めました。 »

所沢・荒幡富士」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/582946/55319707

この記事へのトラックバック一覧です: 荒幡富士は、こうして築かれた:

« 多摩湖から狭山公園へ朝散歩 | トップページ | 荒幡富士で、地域史に目覚めました。 »