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2013年8月 8日 (木)

ふたたびの高麗 パワースポットを巡る旅

8月4日の日曜日sun、再び高麗へ行ってきました。happy01

今回の散歩は、ちょっと長め。ただ、暑くなってきた埼玉地方ですので、このルートを歩く場合、午前中早めの散歩がおすすめです。

ルートは、西武池袋高麗駅を出発 shoe

shoe 35分→ 聖天院 shoe 5分→ 高麗神社 shoe 40分 → 高麗本郷 shoe 1分 → 阿里山カフェ cake

およそ半日の旅

西武池袋線高麗駅から聖天院までは徒歩35分、そこから徒歩5分ほどで高麗神社に到着します。

聖天院は、本堂が山の上にあるため、階段を何度も上る必要があり、歩きなれていない人には少々つらいスポットかもしれません。

足に自信のない人は、高麗神社だけをゆっくり訪れてはいかがでしょう。

車がなくても、八高線高麗川駅から高麗神社までは徒歩20分ほどなので、八高線を利用すれば、歩けない距離ではありません。神社内は、ほとんど起伏もなく楽に歩けますので、シニア世代にもおすすめ。

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では、西武池袋線高麗駅からのルートをご紹介しましょう。

高麗駅の高架下をくぐり、国道299号線の信号を渡ったら、住宅街の道に入ります。

住宅街を抜け、少し大きな道を渡って高麗豆腐の暖簾がかかった店の脇の小径を入ります。写真の道標が目印です。

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気持ちのよい里山道を歩いて県道15号線にでたら右折。高麗川にかかる赤い欄干の鹿台橋の上から、川の中をのぞき込むと、ワンちゃんが水浴びをしていました。

気持ちよさそう。

巾着田といえば、澄んだ水の高麗川が大きく蛇行して流れ、まるで巾着のような地形をつくりだしていることから呼ばれるようになった人気スポットです。秋には一面の曼珠沙華でおおわれ、それはそれはきれいな花園となります。

巾着田の周りを流れるこの高麗川、夏になると、河原でバーベキュー delicious を楽しむキャンパーで大賑わいです。

ちなみにこの橋のすぐたもとには、オーガニックカフェ「阿里山カフェ」もあり、おいしいランチが食べられます。 cake

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納屋のような阿里山カフェを通り過ぎ、高麗本郷の交差点を左折。

山の方に向かって一本道をずんずん歩いて行きます。途中、日和田山へ向かう登山道の入口などもありますが、ずんずん歩いて行きます。

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35分も歩くと、聖天院に到着です。

ここは、高麗王若光(こまのこしきじゃっこう)の遺徳を偲び造営された若光の菩提寺。ここに、若光の墓といわれている王廟があります。

王廟は山門(現在修理中)を入ってすぐの池の隣にありますので、本堂へ上る階段がきついなあと感じた人は、王廟だけでもご参拝してはいかがでしょうか?

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王廟の隣には、見事な庭園があります。

668年、唐と新羅によって滅ぼされた朝鮮半島の大国、高句麗。

奈良時代、日本に多くの高句麗人が難を逃れて渡ってきましたが、その渡来人たちを束ね、今在る高麗の礎を築いた王(こしき)が、若光だったのです。

実は、高麗王若光がどのように日本に渡り、この地で生きたのかという正確な史実は残されていません。

しかし、日本書紀には、天智天皇称制5年(666年)10月に高句麗から派遣された使節団の中に、「若光」の名が刻まれており、その後に書かれた「続日本紀」には、「従五位下高麗若光に王の姓を賜う」とあり、高句麗の滅亡が668年ということを考え合わせると、666年に来日した若光と、「王」の姓を賜った「高麗王」は同一人物だろうと推測されます。

高麗神社のご祭霊である若光は、

日本の朝廷から「王」の姓を賜り、当時未開の地だった高麗を開拓し、王国滅亡後に日本に渡ってきた1799人の高句麗人たちと手を携え、この高麗に安住の地を築いたのです。

若光の守護仏聖天尊を本尊とすることから、聖天院と名付けられました。

立派な山門の雷門は、現在、大修理の真っ最中です。山門の前には、朝鮮半島ゆかりの寺らしく、将軍標(しょうぐんひょう チャンスン)が立っていました。

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風格漂う庭を眺め、長い階段を上ると、平成12年に7年の歳月をかけて建造された本堂が建っていました。本堂正面のテラスは展望台になっており、はるか日高の町並みが遠望できます。

写真の若光の像は、本堂脇の小高い山の上に町を見下ろすようにたたずんでいました。

この聖天院から歩いて5分ほどのところに、出世神社として名高い高麗のパワースポット、高麗神社があります。

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高麗神社としたためられた門柱の脇にあるのは、一の鳥居です。

鳥居にかかる扁額には、「大宮大明神」と書かれていますが、「大宮」とは地域で重要な神社が名乗ることを許された称号。高麗神社は、江戸時代まで高麗郡の「大宮」として、「高麗大宮大明神」とも呼ばれていました。

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駐車場の奥には、韓国から送られたチョンスンが建っています。

チョンスンは、村や町の守り神です。それにしてもユニークなお顔!!! coldsweats01

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うっそうとした木々におおわれた参道を抜けると、居丈高に鎮座する狛犬のその奥に、神秘性を湛えた御神門が現われます。

その門に掲げられた扁額には、「高句麗神社」と書かれています。あれっsign02

「高麗」という文字の間に小さく「句」の字が書かれているのです。

これは、この神社の御祭神である「高麗王若光」の出身地である高句麗と、その後に起こった高麗を区別するために、明治33年にこの神社を訪れた朝鮮王族の貴族、趙重応がしたためたものだそうです。

ちょっとおもしろい扁額なので、必見sign03

でも、創建から1300年たつ今日まで、高句麗神社と呼ばれたことはないそうですよ。

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門をくぐると、勇壮な本殿が姿を現します。

昭和9年、東京帝国大学教授、伊東忠太によって設計された名建築。厳かな気配が漂います。

正面にある扉が開かれるのは、年に一度、10月19日の例大祭当日だけだそうです。

そうそう、なぜこの神社がパワースポットかといえば、この神社を参詣した昭和の国会議員たち、浜口雄幸、若槻禮次郎、斉藤実、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)、鳩山一郎の各氏が、この神社を訪れた後、立て続けに内閣総理大臣になりました。

以来、「出世神社」と呼ばれるようになったのです。

有名な神社って、どこもパワースポットになっていると思うのですが、高麗神社にも澄み切ったパワーが充満していると感じました。

とっても気持ちいい空気感、神聖な気配が感じられたからです。きっと、大きなパワーが渦巻いているのでしょうね。

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高麗神社ですっかりパワーチャージした私たちは、そのままもと来た道を戻り、高麗本郷へと無事に帰ってきました。

いっぱい歩いてお腹がすいたので、阿里山カフェでオーガニックランチをいただくことに。

45分も歩いてくると、さすがに暑くて、今回はテラス席じゃなくて冷房が効いた室内でランチをいただくことにしました。この日も家族連れでいっぱいだった店内。

そのランチ、お世辞抜きで絶品でした。

皆さんも、ぜひ一度、お試しあれ。

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コメント

こんばんは

とても丹念に取材されているのでいい勉強になります。
私はしばらく撮影はできませんが、巾着田の曼珠沙華は撮りに行こうと思ってます。

コメント、ありがとうございます。久しぶりに書いたので、長くなっちゃいました。お読みいただき、ありがとうございます。高麗って、歩いてみると、とてもおもしろい所です。秋の巾着田歩きも楽しみですね。

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