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2013年8月 9日 (金)

若光の菩提寺、聖天院へ

江戸時代まで武蔵国を代表する寺社だった高麗山聖天院。

寺が開かれたのは、高麗王若光が亡くなって後。若光に付き従って高句麗からやってきた僧侶、勝楽上人は、若光の遺徳を偲び、その菩提寺の造営にとりかかりました。

しかし、勝楽上人はその完成をまたずに死去。後を引き継いだのが、若光の三男で勝楽上人の弟子でもあった聖雲でした。

そして天平勝宝3年(751年)、ようやく開山にこぎつけたのが、高麗山聖天院勝楽寺です。

本来であれば、雷門と呼ばれる堂々たる山門がチャンスンの背後に見えるのですが、平成の大修理の真っ最中で、その姿を見られません。

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渡来人、若光の菩提寺なので、寺の前に天下大将軍(左)と地下女将軍(右)が並んで立ち、あらゆる災厄から寺を守っています。

天下大将軍は、地上のあらゆる災厄を、地下女将軍は地下世界からやって来るあらゆる災厄を守護するといわれています。

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「どんな邪悪な鬼も通しはしない」という意思の表れなのでしょうか、非常に恐ろしい顔をしています。

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そんな守護神の前を静かに通り抜けていくと、山門脇に見事な庭園が現われました。

かつて背後の築山が若王の墓ではないかと推測する人もいたそうですが、この築山は若王の墓ではないそうです。

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若王の墓といわれている王廟は、池の隣にひっそりとありました。

屋根の下に石積みのくずれかけた塔があるのですが、これが墓だといわれているものだそうです。

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ちなみに若王さんとはどんなお人だったのか、今から1300年も前のことなので、写真も肖像画も残されてはいないのですが、石像が刻まれています。

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王廟から階段を上って中門のところで、入場料300円を払って境内へと入ります。

そして目の前に現われるのが、この庭園です。

本来ならば境内の正面に本堂がたっているはずですが、現在の本堂は庭園の上にみえる山頂へと移動しました。

というのも、現在の庭となっている場所にあった堂宇は、寛永年間に火災で焼失。その後、再建されたのですが、余りに痛みがひどくなったため、裏山を切り崩し、ここに7年の歳月をかけて新しい本堂が建てられることになったのです。

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境内の一隅には阿弥陀堂も移築されました。

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阿弥陀堂の中には黄金の釈迦三尊像が安置されています。

そして、境内から再び長い階段を上って新しくできた境内へと上ります。

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日高の町を見下ろすように建てられた新本殿は、総檜造り。扁額には聖天院の文字が刻まれています。

若光の守護仏である聖天歓喜仏を本尊として祀っていることから、聖天院と呼ばれるようになったのですが、ご本尊である聖天歓喜仏は、今は秘仏となっているそうです。

果たしてどんな仏様なのか、気になるところです。

開基から600年間は法相宗のお寺でしたが、貞和年間(1345年)に秀海上人によって真言宗のお寺に改宗され、現在は真言宗智山派のお寺です。

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本殿の正面には寺院を一望する展望台がありました。下に見える建物は、聖天院の庫裡と書院、受付のある中門です。こんもりと茂る森の間をぬって高麗川が流れています。

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1300年の時を経て、発展した現在の日高の町を、若光さんはどんな想いをもって見つめておられるのでしょうね。

考えてみると、奈良時代の日本は今よりもずっと進歩的だったのかもしれません。

国を追われた高句麗の王族に官位を与え、武蔵国の開拓を任せたのですから。

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