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映画・テレビ

2012年7月13日 (金)

ポートランド周辺が舞台の映画、『永遠の僕たち』を観て!

オレゴン州ポートランドとその周辺で撮影された『永遠の僕たち』は、少し奇妙な青春映画です。

でも、そこに溢れる詩情世界は、いかにもポートランドらしく、ポートランド好き、オレゴン好きには、街や都市、その土地の風土から醸し出される特有の叙情性が、あ~わかるなあ、オレゴンだよなあ~と、しみじみと深く心に刻まれるのでした。ガス・ヴァン・サント監督の繊細で詩情溢れる世界感が見事に描かれたいい映画です。

物語は、他人の葬式に出ずにはいられない、死神に魅入られてしまった青年イーノック(ヘンリー・ホッパー)と、不治の病に冒され余命いくばくもない少女、アナベル(ミア・ワシコウスカ)の恋物語。

イーノック役のヘンリー・ホッパーは、デニス・ホッパーの忘れ形見。なかなかの男前です。アナベル役のミア・ワシコウスカは、アリス・イン・ワンダーランドやジェイン・エアで注目される新進女優。けっして美人ではないのですが、なんともいえず人を惹き付ける魅力に溢れた女性です。「死」にとりつかれたイーノックの唯一の友だちが、ヒロシです。加瀬亮演じる特攻隊員。映画では流ちょうな英語を披露していました。

ヒロシの存在はイーノックにしか見えません。社会から孤立し、生きることを放棄してしまったイーノックですが、アナベルに出会ってことで、少しずつ希望や社会とのコンタクトを取り戻していきます。しかし、皮肉にもアナベルの身体は徐々に病に冒され、イーノックにとって唯一の希望の光も、その存在をまもなく消そうとしているのです。人生とは、思うようには進まないものです。実に、はかない…。

青春期特有の恋人同士の繊細な心模様を、ポートランドの町中や森の風景とともに、たっぷりとご鑑賞ください。青春って甘酸っぱかったよなあって、なんて、思い出しながらね。

『永遠の僕たち』
監督:ガス・ヴァン・サント
製作年:2011年
日本公開:2011年12月23日
キャスト:ヘンリー・ホッパー、ミア・ワシコウスカヤ、加瀬亮

2012年6月29日 (金)

映画「サラの鍵」に感動したよ

ちょっと前のことなんだけど、映画「サラの鍵」を見て、いたく感動しました。

機会があったら、ぜひ、ご覧下さい。以下は、映画を見た直後の感想です。

文体がちょっと違うけど、読んでみてください。

ラストシーンの子供の後ろ姿に思わず涙がこぼれた。

原作はタチアナ・ドロネの同名の小説「サラの鍵」。世界中で300万のベストセラーとなった本の映画化である。

1942年当時のフランスは、ナチス・ドイツの占領下にあり、ヴィシーに置かれた占領政府は、対ドイツ協力政権だった。

そんなパリでフランスの国家警察によってユダヤ人一斉検挙があり、約13000人のユダヤ人が、ヴィルディヴ(冬季競輪場)に集められ、劣悪な環境で留め置かれた後、列車で強制収容所へと送られた。

そんな事件を取材することになった、パリに暮らすアメリカ人ジャーナリスト、ジュリア。

事件を調べていくうちに、夫の両親から譲り受けたアパートが、1942年、一斉検挙されたユダヤ人一家が暮らしていたアパートだったことが判明。

ジュリアと夫、夫の両親、そしてかつてそこに暮らしたユダヤ人一家の長女サラという名の少女の運命が少しずつ重なり合って、過去と現在がつながり、その関係性が明らかになっていく。

監督はドイツ系ユダヤ人の祖父を強制収容所でなくしたジル・パケ=ブレネール。

シラク大統領は、就任2ヶ月目の式典でこう演説した。

「誰もが知っている。占領者(ナチス・ドイツ)の犯罪的狂気がフランス人とフランス国家によって支えられていたことを。光の祖国、人権の祖国、人々を温かく迎える安住の地フランスが、当時、取り返しのつかないことをした」と。

「過去の誤りと向き合うフランス」を発表したことで、国民の多くがシラクの演説を支持し、なかでもフランスに暮らすユダヤ人社会は、この告白を歓迎した。

前の大統領だったドゴールも、社会主義者のミッテランも、事件はヴィシー政権の責任であって、フランスの正統政権とは無関係という立場を貫いたのだった。

世界にはまだまだ私たちの知らない歴史が、無数に眠っているということだ。

あの時代、ドイツやヒトラーばかりか、ヒトラーを取り巻く世界も、狂っていたということだ。

2012年6月 7日 (木)

「旅の力」を見てハリファックスを想う

今日は「森歩き」を離れて、カナダの旅の思い出を書こうと思う。

ちょうどNHKBSで「旅の力」を見て、私も10数年前訪れたハリファックスのことを鮮やかに思い出したからだ。

番組は、YMOの細野晴臣氏が、祖父が巻き込まれたタイタニック号沈没のゆかりの地ハリファックスを訪れるというもの。実は今年4月15日は、タイタニック沈没100周年に当たる節目の年なのだ。

4月に新聞でタイタニック造船の地、ベルファストのことを読んだが、そういえばとつらつらタイタニックのことを考えてもいた。

私も、何度か訪れたハリファックスで、タイタニック号の犠牲者が眠る墓地を訪れたり、海洋博物館で海底から引き上げられた、タイタニック号で使われていたデッキチェアなどを見学した。

彼の地を訪れたのは本作りのためだったこともあり、何か記事にできるおもしろいネタはないかと、あちこち訪ね歩いたものだった。

何回目かの取材で、港そばの観光案内所を訪れたときのこと、「タイタニック号沈没に関して、何か資料はないですかねえ」と、窓口のおばちゃんに尋ねると、「あるわよ」と言って奥から黄色くなった新聞の束を出してきてくれた。

それは、当時の新聞記事の切り抜きや沈没後しばらくたってから記事にされたものだった。観光案内所に、タイタニックの資料が保管してあること自体、すごいことだ。

おばちゃんは、私がしげしげと新聞を見ていると、「コピーがほしいかしら?」といって、何枚ものコピーをとってくれた。

その資料は、現地で仕入れてきた貴重なものだったこともあり、しばらく箱の中に大切に保存していたのだが、今はどこにいってしまったか。

なぜ、ハリファックスがタイタニックゆかりの地かといえば、沈没地点は、ニューファンドランド島の沖合1300㎞の氷山行き交う洋上なのだが、沈没地点に最も近い港が、カナダ・ノバスコシア州の州都ハリファックスだったからだ。

しかもハリファックスには、大西洋の海底に海底ケーブルを敷設した屈強な海の男たちがいた。彼らの多くが救助に駆けつけたのだが、それにしても現場は寒すぎた。生存者はほとんどおらず、男たちは、ただ遺体を引き上げ続けたのだった。

ハリファックスの地は、あの悲劇を100年間伝え続けてきた。そして今も未来に伝えていこうとしている。

私たちも3月11日に起こったあの震災を、これからどう未来へ伝えていくべきなのか、ハリファックスがタイタニックの悲劇を伝え続けたように、確かに伝えていけるのか、それが問われていると、番組を見ながら思ったのだった。