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カナダ

2012年7月11日 (水)

タイタニック沈没100周年記念切手がきた~!!!

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梅雨の中休みがとびきり暑い関東地方、皆さんはいかがお過ごしですか?

先週のことでしたが、カナダのバンクーバーに住む友人から手紙が来ました。

切手を見て、びっくり。

な、な、なんと、あのタイタニック号の記念切手だったじゃありませんか!!!

早速ウエブサイトで検索したところ、わかりました。

今年の3月20日に、カナダポスト(日本郵便みたいな組織)から、計5種類の「タイタニック沈没100周年」の記念切手が発行され、そのうちの1枚を、私のために(勝手に推測)愛しい友人が、貼ってくれたものだったのです。

うち4種類は、4枚一組になった国内用の切手で、写真にあるタイタニック号の切手は、国際郵便用に1種類だけ作られたものでした。

サイズは、天地36ミリ、左右84ミリ。

幅広で、4本の煙突と、下にホワイトスターライン社の社旗が掲げられています。

ホワイトスターライン社は、タイタニックを建造したイギリスに本社がある造船会社で、後に、キューナード社に吸収合併されてしまいますが、1912年当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの船会社でした。

タイタニックが建造された場所は、イギリス北部のベルファスト。

あの北アイルランド紛争の地、ベルファストだったのです。処女航海で沈没してしまったタイタニックは、その建造地だったベルファストにとっても悲劇となりました。本来なら名誉あるタイタニック生誕の地。しかし、この事故を受け、その生誕地の栄光は、長く封印されることになったのです。

沈没したのは、1912年、4月15日午前2時20分。

カナダ・ニューファンドランド島沖合の氷山行き交う海上でした。

タイタニック号は、海面からの高さが20メートルという、巨大氷山に、その450メートル手前で気づき、衝突しました。そして、衝突から2時間40分後、浮沈船といわれたその巨体は真っ二つに折れ、海の藻屑と消えたのです。

ちょっと常識では考えられない事故です。

この海域は北極海から流れ下る氷山の通り道なのです。そんな危険な海を航行するというのに、安全確認に問題はなかったのでしょうか?

この海難事故で、乗客乗員2224人のうち、1514人が命を落としました。

その沈没地点から最も近い港こそ、カナダ・ノバスコシア州の州都ハリファックスだったのです。街には、引き取り手のない150遺体を埋葬した墓地が3カ所もあり、今なお、訪れる人が絶えません。

タイタニックの悲劇は、ハリファックスで長く語り継がれてきたのです。

世界をゆるがす海難事故は、ちょうど時を同じくして誕生したボストン・フェンウエイパークにも影を落としました。

1912年4月20日。ボストン・フェンウエイパークでは、レッド・ソックス対ニューヨーク・ハイランダーズ(現ニューヨーク・ヤンキース)のこけら落とし試合が行われていました。

激戦の末、宿敵ハイランダーズを延長戦の末に下したボストン・レッドソックス。街は歓喜に沸き立ちました。しかし、その試合結果を報ずる新聞はありませんでした。なぜなら、翌日の新聞は、世紀の海難事故、タイタニック沈没というビッグニュースで埋め尽くされてしまったからです。